フォーラム「障害からひろがる表現とケア」に参加しました。

7月15日(月・祝)に九州大学大橋キャンパスで開催された、フォーラム「障害からひろがる表現とケア」に参加してきました。

定員は50名だったにも関わらず、福祉事業所関係者、公共施設関係者、舞台芸術に携わる人などなど、超満員というか定員をはるかに超える参加者数だったと思います。
それだけ、世の中の関心は高まっているということなんでしょう。

私は、今回の登壇者と「障害からひろがる・・・」というタイトルにも惹かれ、参加させていただきました。
冒頭からこのタイトルの説明をしていただき、超納得。
マジョリティがマイノリティに対して歩み寄る(その逆も含めて)のではなく、「混ざり合うことで新たなコミュニケーションが生まれて、結果多様なコミュニティが形成されていく」というような解釈をしました。
さらに、登壇者が九州大学の長津さん以外全員女性ということもなんか素敵でした。

以下、フォーラムに参加した感想です。
フォーラムの内容はあまり書いていませんので、悪しからず。

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「社会的包摂」「ダイバーシティ」「SDGs」とかいろんな言葉が世の中で飛び交っているけど、その目標に向けて「何をどうしていったらいいか?」って考えるとなかなか想像することが難しいなーと考えることが多々あります。
今回のフォーラムでも「どうしていきましょう?」みたいな話も出ました。
主催者&登壇者の活動からも、障害のある人たちなどのマイノリティといわれている人たちと、当たり前のことを当たり前にしていることが紹介されていました。
やっぱり、当たり前にできていないから問題なんですよね。

話は戻りますが、「社会的包摂」「ダイバーシティ」などの大きな目標に近づけていく活動の中で、マイノリティといわれてる人たちの存在を意識してるか?って問いに出くわすことになると思います。
「存在を意識する」って、一緒に何かをする場や出来事がないと、なかなか難しいと思います。

最近「アートが有効」みたいなこともいわれてて、これは「表現と通じてその人らしさや存在が表れているから、関わりやすい場が生まれているのではないか?」と、このフォーラムに参加して少し言語化することができました。
(その後違う言葉に変わる可能性は大きくありますが・・・)

もちろん、アートじゃなくても関われる可能性はたくさんあると思います。

今後はアート以外でもいろいろ一緒に何かやっていける場をつくっていくことが必要なのかと思います。
そうすれば「社会的包摂」とか「ダイバーシティ」という言葉を目標としなくてもいい世の中に近づいていけるのではないでしょうか。

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樋口龍二

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