宮崎県の調査に行ってきました。

九州障害者アートサポートセンターは、九州の広域センターとして支援センターを未設置の県の調査を行なっています。
今回は鹿児島県と宮崎県を2泊3日かけて訪問しました。続いて宮崎県のレポートです。

〈工房・あわいや〉@宮崎市

初めに訪れたのは、2014年に設立した工房・あわいや。書・絵画・和紙を使った作品作りといった創作活動や、外部講師を招いての音楽やダンスのワークショップを行なっています。

「あわいや」という一風変わった施設名は、あわい=媒介・あいだという意味が由来とのことで、一人一人が何かを生み出す時間を、時間をかけて感じとるような、間を大事にするという思いから名付けられたそうです。
表現には「こうしなければならない」という決まりごとがなく、それが一人一人の生き方にも繋がっています。効率やスピード、生産性といったものが求められ、生きづらさが漂う社会で、違った価値観を示したり、発信したいという思いが根底にあるとのことです。

日々の制作活動のほか、作品展のほか地域のイベントに参加したり、子ども向けの書道教室や一般の方も参加できるワークショップを企画したりと、精力的に地域に関わる活動も展開されていました。
その一つ一つは『障害者の』と括弧書きで括ってしまうことで、逆に生まれる壁を取り払っていく過程であり、地域や社会にとってプラスに作用していくように思います。

和紙を使って作られた作品。動物を表現しているとのこと

お話を伺っている最中に、「こんにちはー!」とお菓子を持ってやってきたのは、ご近所の方。聞けば、こうやってご近所の方が訪れて一緒に活動したり、登下校途中の子どもたちがふらっと訪れたりするのは日常の光景だそう。「地域に開かれた福祉施設」「身近にあることが当たり前の施設」がこんなにも自然に実践できていることに驚きました。

決して華々しく活動を展開しているわけではなく、毎日を大事にする生き方がここにはあるようです。

〈アートステーションどんこや〉@宮崎市

同じく宮崎市内にあるアートステーションどんこやは、絵を描いたり、陶芸をしたりといった創作活動が好きな7名の障害のある人たちが1994年に立ち上げました(当初は「芸術村」という名前で各自の自宅を拠点に活動していました)。
利用者や職員は入れ替わりつつも、障害のある人たちが主役となって輝く居場所づくりの精神は今も受け継がれています。

立ち上げ当初から行なっていた表現活動は、絵画、陶芸、書、押し花など多岐に渡ります。

インタビューをしている最中も、周囲で利用者の方が賑やかに創作活動をしており、とてもフラットな空間でした。
就労支援の場合、何かの業種を持ってしまうと一般企業と競合することになり、福祉施設にとっては不利な状況となります。勝つのが難しいところで頑張るのではなく、利用者を中心・主役という考え方からはズレてしまいます。
メンバー一人一人が「その人らしく生きる」ことを実現していく、ということを基本スタンスとしており、芸術活動は個人に特化しやすいため活動の主軸となっているそうです。
必ずしも芸術や創作に携わらなければならないわけではないので、「その人らしい」を時間をかけて一緒に寄り添って気づいていくようにしているとのことでした。

近年は県内の事業所とグループ展を開催したり、アーティスト発掘のためのワークショップを開催したりと、活動の幅を広げているそうです。

取材の最中にメンバーの方に描いていただいた似顔絵

施設が通学路に面しており、子どもが自然と来たり、学校の社会科見学に訪れたりするそうで、自然と周囲の人や社会と繋がっていく姿が印象的でした。「障害者への理解が深まる」という堅苦しい関係ではなく、どんこやがあることが当たり前の光景になっているようです。
インタビューの最中にもてなし上手な利用者の一人が筆者の似顔絵を描いて渡してくれました。

〈Jumping Art Project〉@宮崎市

宮崎市内にあるデザイン会社株式会社ブルーバニーカンパニーが主宰しているJumping Art Projectを取材しました。

Jumping Art Projectでは、鹿児島で取材したLankaや先述のアートステーションどんこやを始めとする宮崎県内の福祉事業所と連携し、障害のある人とデザイナーがコラボして商品化を進めたり、地元企業との仲介をしています。

宮崎太陽銀行とコラボしたポチ袋
スマートフォンケースや名刺など
商品のパッケージ

もともとB型事業所の工賃向上に向けたコンサルの仕事をしていたという代表取締役の高峰さんは、一般企業と競合する難しさを感じていたそうです。そこで、障害のある人たちの「できること」をデザインに落とし込むことを考えたということでした。
障害のある人たちの描く大胆で今までにないような作品を求める地元企業も増えてきたとのことです。

活動を始めた頃は、障害のある人はクライアント、という意識だったそうですが、作品を外に出す以上、良いクオリティを担保しなければならない、という考えから現在では、チームメイトと思って活動をしているということでした。
また、頻繁に事業所に顔を出したり、事業所内のイベントに参加したりすることでコミュニケーションを取る機会も意識的に作っているそうで、だからこそ良い関係で仕事をできているようです。

活動を始めたばかりなので、まずはデザインの仕事の実績を重ね、障害のある人たちが絵を描くことを仕事にできる環境を作っていきたいとのことでした。
さらに今後は教育に力を入れたり、宮崎で構築したビジネスモデルを台湾やネパールといった海外でも展開して活動の幅を広げたりしたいそうで、どこまでJumpしていくのかとても楽しみです。

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